世間の貴方への評価は間違ってる。そんな話。
なんか色々こなすごとに、いわゆる「教えられてきた社会」が
如何に幻想で、間違ってるかを痛感するんですけど、
その中でも、これは最たるものだと思う。
あれですよ。
ニート的な人って、自己評価が本当低くて。
いや、不当に低くて。
で、それは結局、自分でそう思ってるってのもあるけど。
人にたくさん言われてそうなったってのもかなり多くて。
つうか、大抵そうで。
で、その人に、例えばですよ。
自己紹介とか聞くと。
あれが出来ない、これが出来ないから始まるんですよね。
そんで、最終的には何もできないにつながって。
まあ、それが生まれた時からそう思ってるなら別にいいですけど。
大体はそうじゃないですよね。
周りから言われたり、植えつけられたりして
なったんじゃないんですかね。
でもね。ここが、最近になって、本当に間違ってるって思うんですけど。
「
○○出来ない人間です」なんて、
何一つ自己紹介になんて
なってないですからね。
そして、あいつは、もしくはお前は「○○できない人間だ」ってのも同様に、
何一つ、貴方という人間を
あらわしてなんかいないですからね。
なんで世間とか、周りとかは、できないことばっかりに
注目するんですかね?
そして本人にさせるんですかね?
まあ、できないのに注目するのは楽だからかな。
イチローがプログラミングできない人間ですといって、
それが彼を表してることになりますかね。
アップルのジョブスが、野球が苦手だからといって
それが彼を表してますかね。
ダウンタウンの松本がアニメーターになれないからといって
それがなんだっていうんですかね。
他にも、サッカーができなかろうが、大学いってなかろうが、
土方で働いたらすぐもたなそうだろうが、
単純工業業務に1日と耐えられない精神だろうが、
クレーム受付になれなかろうが、
F1レーサーになれなかろうが、
それがなんだっていうのかと。
イチローは野球のトップだし、
ジョブスはプレゼンの天才で、
ダウンタウンは漫才に革命を起こした。
それが一番重要ですよね。
「できたこと」で評価されるわけですよね。
他の評価なんて、正直どうでもいい。
できないことを100積み上げようが、
彼らの評価にはならない。
「出来ない」でその人を評価したり、
定義することは、それこそ「出来ない」です。
それはもちろん、一般人である自分らにも言えることで。
出来ない、出来ない、ってどんだけ言われてきたかもしれないけど。
そんなの、一切
マトモに受け取る必要はないです。
すっごくどうでもいいです。
どんなダメ人間って言われようが、○○出来ない、で
評価を受けてる限り、聞く必要なんてないです。
……いや、聞く必要がないは言い過ぎかな。
向き不向きを知る情報の一つとしては意味がありますね。多少ね。
ただ、「定義」には役立たないです。
○○出来る人だね、というその評価だけです。
価値があるのは。
もし、自分で自分を評価した時に
○○出来ない、で埋め尽くされてたら、
それはもう、捨てさっていいですよ。
そして、誰かが自分にありがたい(笑)お説教とともにね、
お前はダメな奴だと、懇切丁寧に教えてくれたなら、
それもやっぱり聞く必要はないです。
自己定義に、何の役にもたたないですからね。
そんなん真に受けて、自分はあれもできない、
これもできないって数えても、そっから生まれてくるのなんて
ゼロですから。
出来ることを探す。
出来ることで自分を定義する。
それがなんもないっていう人もいるかもだけど。
それは誤解ですね。
それは単に、出来る、のハードルを糞高く上げ過ぎなだけです。
月収20万以上を生む「出来る」じゃないと意味ないとかね。
それと定義したら、高校生以下は全員何もかもできない奴ですね。
しかも平等に。全員が同じ能力値で、できない、になりますね。
もちろんそんなことはないですが。
まあ、そっちはそっちでまた次に語ります。
それよりまず、出来ない、で自分を定義するのを辞めること。
役に立たないですよ。
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これオススメの本ってことですか?
是非解説してください。オススメなら買います。
>>サンチョさん
自分の評価って、自分で下してるようでいて、結局他人の評価をずっと引きずってるんですよね。
僕は自分の評価は自分で下したいと思う……。実績ないと中々難しいけど、自分以上に自分を気遣ってくれる人間なんていなんですから。
>>ぬっくんさん
ハードルのあげすぎは、大体ダメですねw
一歩一歩進むことが、一番大事だと思います。ほら、人生思ってるより長いから。
今回もちょっと耳が痛くなるような内容でした。
「特徴」よりも「特長」を見つけることが重要・・・なのはわかっているんですが
自分自身でこれをするのは難しいし、自己評価を低くした
身内なり近い仲の人間にこれを聞くのも難しい。
だからって、友達などに聞いても「外向けの顔」を評価される場合もあってそれを評価されても納得できないような気もします。
最後にちょっとこの考察を読んでる最中に思ったことを
自己評価が低い人って、幼い時に「有条件の愛」を受けてた人が多いのではないかと。
親の教育方針に従わざるを得なかったり、そうした方が楽だった人が、そうなっちゃうのかな・・・と
だって自分への評価っていくらでもさじ加減ができちゃうじゃないですか!?
人間誰しも他人より背伸びしてしまう時もあるし、周りの空気を読んで謙遜してしまう時もある。
そんなことでコロコロ変わるようなら最初からしないほうがいいんじゃないかと…。
僕の考えは間違ってるでしょうか?
事故紹介……もしくは自虐紹介?やっぱり、後ろ向きな感じですね。
>自己評価が低い人って、幼い時に「有条件の愛」を受けてた人が多いのではないかと。
かもですねー。結局、条件みたせなければ価値がないってことですから。
>>暁さん
うーん。自己評価から逃れるすべなんて無いですよでも。他人の評価は、結局他人を通じて「自己の評価」を変えるだけであって、本当に自己評価を切り離す人なんていません。