ニートをしてると、いろんな人がアドバイスをくれる時がある。
ありがたくもあるし、うっとうしくもある。
でも、正直、「聞くべきではない」意見や
「耳を傾けたら傷つく」意見も多い。
というわけで、そういう時の自分の意見の判別法です。
まず、一番大事なこと。
「正しいか、正しくないか」……で判別するのは、まずやめよう(笑
理屈と膏薬はどこにでもくっつく、ということわざがあるんですが。
個人的には、正論と言い換えてもいいぐらいで。
こんなもん、どこにでもくっつくよ。
重要なのは。
「役に立つか、たたないか」だと思います。
「俺が正しい」「いや、俺のほうが正しい」とか。
「おまより俺が正しい。ゆえにお前は俺に従うべき」とか。
こんなもん、100年議論したって無駄です。
重要なのは、役にたつか、どうかですよ。
今、この自分に役に立つのか?
それこそが全てですよ。役にたつというのは、メンタルでもいいです。
どんなに客観的にみると突っ込みどころ満載でも、それによってやる気がでたなら、
行動を踏み出せたのなら、立派に素晴らしい意見であり。
どんなに客観的に見て非の打ち所のない意見でも、
それによって心がボキボキに折れるなら、それは価値のない意見です。
なんか人にきついこと言われた際は、そう考えるといいです。
「この人の助言は正しいか?」ではなく。
「この人の助言は、役にたつか?」と。
どんなにご立派な演説でも。
どんなに実績のあるお言葉でも。
「自分にとって」役にたつかどうかが全てであり。
そうでないものは、所詮飾りだとスルーするのがいいと思います。
もちろん、このブログにも言えますけどね。
自分は色々意見や過去を垂れ流していますけど。
正しいかどうかで判別とかしなくていい。
役にたつのだけ、拾うのが一番いいと思います。
正論いって、人の心を折っておいて、ドヤ顔してる人なんか、
ありがたがる必要ないんです。
自分は正直、正論に助けられた回数よりもずっとずっと
傷つけられた回数のほうがよっぽど多い。
だったら正論って、なんのためにあんのさって話。
そんなことより、役に立つ立たないのほうが、
よっぽどシンプルに意見を取捨選択できますよ。
前回 10/9/30
ニート考察60「ニート向け就活本の無さは異常」次回
ニート考察62「実績のない状態で、自信をつけれるか?」目次一覧はこちらをクリック 傷つけるしかない正論って、それをいって
誰が得するっていうんだろうか。
ほんと、誰が得するんだよ。
助言は、相手の立場に最大限配慮した言葉と感じます。
エントリーには関係ないのですが、名無しさん@ニュース2ちゃんさん=地雷屋さんですか?
特に塞ぎ込んだり、自分に自信がなくなっているときには、自分に役立つ考えや意見を集めて、自分を強化していった方がいいと思います。
今回の記事は今悩んでいる人にとって、とてもいいアドバイスになっているのではないかと思います!
少なくとも、僕やこちらでコメントをしている方にとって地雷屋さんの記事は、とても役に立つものだと思っています。
これからも拝見させていただきますね!
それでは失礼いたします。
アドバイスをしてくる人を見て受け入れるかどうかを考えるといいと思います。
「みんながみんな好きな事を仕事には出来ないんだぞ」
と言ってくる奴はどこにでもいます。
俺の感覚ですが、大抵好きな事を仕事にしていない、希望職につけなかった人にこのケースが多いです。
逆に
「やりたいようにやればいいじゃん。好きな事をやってみるといい」という人は楽しんで仕事をやっています。
夢、やりたいこと、目標を達成させた経験からくる言葉からでしょう。
希望職につけなかった社会人も諦める必要が無いのです。「嫌だけど嫌々でも働くんだ」って奴隷じゃないですか。
ニートに偉そうに吠えるなら、劣悪労働環境から抜け出すことを考えましょうよって話です。
抜け出そうと思っても抜け出せないって言うなら
その思考とニートは重なる部分があると思うのです。
動きたくても動けない時がある。
希望職につける人は一握り←言い訳
働いてるから資格の勉強と両立は無理←言い訳
働きながら転職活動は出来ない←言い訳
ニートから脱出する思考が無かった時期がありました。
不満足な現状を打破することを諦めた社会人にだけは言われたくなかったー。
えっと、そのとおりです。よそのブログに※残しして、帰ってくると
名前を治すのを忘れてる時が……。
相手のいってることが、正論だからいってるのか、それとも助言としていってるのか。
見極め大事ですね。
>>ラッキーマンさん
正論は他人にいわれるのもそうですけど。
自分で自分を傷つける正論を自分に言ってる人も多いと思う。
哀しいことなんでやめたほうがいいと思いますね。
>>奴隷人形さん
超いいこといった!
全くですね。
アドバイスしてる人が成功者かどうか、は大事だと思います。
なぜなら、成功者は「君にもできる」と言ってくれるから。
出来なかった人が「お前も諦めろ」と言ってくるのは大いにありえます。
ニートからの脱出は、こういう意見に囲まれてると無理に感じる時ありますよね。
僕も、仕事につくことがとてつもなく立派で、ダメ人間じゃ通用せず、
だいそれたことだと感じてた時期がありました。
今思い返せば、彼らの脅しだった。
正論批判は自己嫌悪につなげて何もしない事ができるから聞くけど
役に立つ意見探しが出来ないんです
それで自虐にもなるし
今は狭い価値観に囚われてるだけ
将来動かなきゃいけない時が来たら変わるに決まってる
それが慰めになったりならなかったり
結局相手を批判しているんだと思います。
色んな価値観を認め合えることでもっと
みんな生きていきやすくなると思います。
「苦しいのは嫌だ。悲しいのは嫌だ。辛いのは嫌だ」
みんなそう思ってるはずなんですけど、上のようなことを言うとたいてい
「みんな苦しいんだ。お前だけなんじゃないんだ。みんなその辛い中をやってきているんだ」
な感じなことを言われる。
なんかそういう言い方って見方を変えると
「お前だけ楽するな。お前も苦しめ」
て感じに聞こえるのは自分の被害妄想ですかねぇ。
自己嫌悪と自虐って、一時の安らぎになるときもあるけど
やっぱ長期的に見て害だと思います。
>>山川さん
正しく正しくないより、楽しい楽しくないのほうが有意義っす。
>>ニートですよさん
あるある!
> 「みんな苦しいんだ。お前だけなんじゃないんだ。」
この言葉!
大変聞きたくない言葉ですよ。
結局、その人も苦しみから抜け出す方法を知らないんでしょうね。
なのに、それを隠すから変なことになるとおもう。
素直に、抜け出したいねと言えばいいものを。
こっちは傷付いてるのにむこうはそんなの知らん顔で笑って過ごしてる。
馬鹿らしいですね・・・
人に振り回されないような自分だけの価値観や考え方を確立したいと思う今日この頃です
傷つけてそれだけでおしまい。そんな助言に何の意味があるかってないですよなー。